織姫と彦星ほどではないけれど 結婚後いざなわれる世界はちょっぴり切なくちょっぴりヘビー?!

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運命学
七夕の物語 ~織姫 彦星夫妻の物語~

~織姫 彦星夫妻の物語~

天の川の西側に住む織姫と 天の川の東側に住む彦星。

出会って恋に落ちて結婚した二人。

幸せすぎて 楽しすぎて 満たされる毎日。いつしか 働き者だったはずの織姫と彦星が 仕事も手につかないくらい二人の時間に夢中になる。 仲がいいのは素晴らしいこと。だけど、、、、いろいろ支障が出始める。。。はたおり名人の織姫は 神様の衣装を作らなくなったので神様は着るものがなくなり困りはて、 彦星は作物を作り皆の食卓に健康と豊かさを届けていたのに 畑は荒れて収穫どころか新芽も育たず 。。

このままでは全体の幸せのバランスに影響が出るので 二人を離すことに。

でも 離された二人は 気力を失い 仕事復帰ならず。。

ならば 年に一度 天の川で会わせてあげるという約束を。

ようやく笑顔を見せ 織姫と彦星は七夕に会えることを心待ちにしながら それぞれの仕事に一生懸命取り組んでお役目を果たす。

 

簡単に言うとこんな感じの物語。

なんだかとっても切ない話・・

 

だけど・・聞いて驚くことなかれ

織姫と彦星ほどの 極端さはないにしても わたしたちが結婚後いざなわれる世界も・・・ちょっぴり切なくヘビーな世界。

そのわけとは・・・

 

陰陽五行から見た夫婦の本質

 

陰陽五行から見る夫婦の立ち位置は 恋人とは真逆の位置に存在します。

慈しみ愛し合うエネルギーの仁徳エリアに存在する恋人に対して 夫婦は激しいエネルギーを行動に変換して、道理を貫き通して生きる義徳エリアに存在。。  つまり 恋人と夫婦では取り巻くエネルギーや 立ち位置、世界そのものが違うわけです。

 

恋人同士の頃 お互いに愛し愛され あんなに満たされていたのに

結婚したとたん いろいろなことでぶつかりあい 安らぎとは程遠いように感じるのは、むしろ運命が正常に稼働している証拠であるとも言えるわけで。。。

 

つい最近まで仁徳という お互いに思いやり、愛し合う事がメインの世界にいたのに 結婚して自分を律することに力を使う事がメインの義徳という世界にやってきたのです。

このギャップにいろんな思いが湧き上がるのは当然な事。勝手がわからず、ドタバタするのも 一つの通過儀礼。

義徳の世界では自分を律するためにエネルギーを使うことが最良なのですが 最初の頃は 『なんでそうなの?!』と 思い通りにいかない、予想外の事象に エネルギーをぶつけあったりすることもあるわけです。

 

夫婦たるも。。己を律して正しく生きる。。。。。これが自然哲学陰陽五行が伝える幸せになるための法則。。。。。

『・・なんかイメージ違うんですけど・・・・・よりどころは・・・己??』

 

常に寄り添いあって、病めるときも健やかなるときも、、に夢を抱き 二人でともに生きるのが結婚ととらえていた未熟な私がこのことを知った時の衝撃たるや。 でも同時に妙に納得したこと今でも覚えています。(笑)

 

こんな小話はともかくとして、(陰陽五行的には)結婚は 恋人関係の延長戦ではないわけで、

嫌が旺でも 自分で自分を整え律し、誇り高く生きる方へと押し流されるわけです。

 

嫌が旺なんて 切ない話です・・・・

 

そして この法則 何がヘビーかというと

夫婦とは情はあるけど剋しあう関係であるという事。(陰陽五行、算命学では有情の剋線と表現されます。)

そう情はある、愛おしさはちゃんとある。でも悲しいかな剋しあう。。

剋しあう関係とは分かり合えない事や 摩擦や衝突 苦しむことで磨かれ成長するという関係。

言葉で書くとめちゃくちゃしんどそうですよね・・

でも、

この関係はとんでもなく成長するんです

これこそが 陰陽五行が定義づけている 夫婦の自然な形

分かり合えないことを受容して 影響を与えあうことによって 二人が統合する

その先に

剋する関係にしか手にすることができない 深い絆の深い愛のカタチができるのです。

 

さいごに

織姫と彦星夫妻のように 夫婦というものは 見えないけれど 二人の間に川があって 距離があるもの。

その隔たりは それぞれの お役目の責任を果たすための大切なもの。

距離があるという常ではない環境で 『時々』話したり 『時々』分かり合えたり。。この『時々』という時間の喜びは 年に一度織姫と彦星が七夕に感じるそれと同じくらい貴重な事☆

 

七夕という素敵な日に 織姫と彦星が会えますように☆

夫婦の本質にはこんな側面もあるんだよ、というおはなしでした(^^)

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